「何か」についての感想メモ

個人的な読書感想メモ。なにかの足しに。

No.4

タイトル「延命」
メディア:電子書籍『瞬殺怪談』(竹書房)2016.8.1
作品の初出:『実話怪談覚書 冥妖鬼』
著者:我妻俊樹

○感想
怪談とは不思議を扱う物語である。この話の不思議さはどこにあるのか。何かよくわからない祈祷は、それ自体として不思議ではない(充分有り得るという意味で)。ペットが死ぬことも、家電や道具が壊れることもそれ自体としては不思議ではない。この話の不思議さというのは、個別の事象である「何か祈祷を受けてからの期間」と「ペットや家電・道具の寿命が短くなった期間」が一致していることによる不思議である。日常では中々起きない特別性のある出来事がある時期に同時に生じ、かつ関連性を感じさせるような「符号の不思議」とでも呼ぼう。虫の知らせというのもある意味でこれに分類できる。飾ってた写真が倒れる、といったこと自体は不思議ではないが、別の出来事とそのタイミングが一致することでそこに奇妙な符号を感じるような場合など。
この話で面白いのは家電や道具の寿命が短くなっている(壊れやすくなった)ことだ。生物(ペット)には生き死にがあるので当たり前だが、家電や道具の「寿命」というのは比喩である。人間の視点において、役に立つかどうか、機能をいつ失うか、ある道具の耐用年数といったことを生命のそれに例えた表現である。いわば人工的な「寿命」であり、それが超自然的な働きと関連してるように見えるのが面白い。祈祷の効果、というよりは、祈祷そのものを成就させるために、体験者の父親がペットを殺したり道具の「寿命」を減らすようにしていたと解釈する方が自然なようにも思える。
がんでその人がどれほど生きるか死ぬかは、ある期間経過後の生存「率」で表現されるように、予測不可能性がある。体験者の父親が、医者に告げられた期間よりも長く生きたのはただ運が良かったのか、それとも「何か」が働いたのか、それは読んだ人の解釈に委ねられる。

No.3

タイトル「慣れる」
メディア:電子書籍『瞬殺怪談』(竹書房)2016.8.1
作品の初出:『懺・百物語』
著者:伊計翼

○感想
自宅で起きる怪異は厄介の一言。何が不思議かと言えばやはり自宅の中にいつの間にか老人がいるというのは常識から離れた事態であり、そのように見える何かが存在することだ。
この話は最終的に因果に回収されているが、よくよく考えてみたい。もしこれらが祟りによるものではなく、単なる幻覚だとしたらどうか? 気配を感じるというのは思い込みかもしれないし、自分の身体の感覚が何らかの原因で自己イメージと上手く統合されてないのかもしれない。バスルームで聞こえる泣き声については、マンションやアパートの通気配管を伝わり思いもよらない場所の声が実際に聞こえてしまってるようにも思える。部屋に現れた老人も幻覚かもしれない。唸り声で目が覚めた、ということ自体が夢の中の出来事である可能性がある。実際にあった出来事の証左として首に付いた跡があるが、それは夢遊病よろしく自分で寝ている間に首を締めたのかもしれない。これらの出来事が闇金に勤めていることのストレスや罪悪感から来るとすれば、仕事を辞めたことで怪異が収まってもあり得なくもないような気がするがどうだろう。もしくは、老人が空き巣のようにたまたま窓が開いてたのを利用して侵入した、と考えてもよいだろう。寝起きで寝ぼけており、夢の中のイメージと混ざって、天井云々があるのかもしれないし、実際そうしていたのかもしれない。何もない空間に現れたり消えたりするのを目撃した訳でもないので、実際に生きてる人間であるという疑いは残る。また、祟りというか、因果に回収されるのが嫌いな人はこれが体験者の職場とは実は何の関係もなく、元々部屋にいた怪異が仕事のストレスによりたまたま波長が合ったことで見えるようになったと考えることもできる。
瞬殺怪談はその情報量の少なさから、色々と空想を遊ばせる余地があって面白い。

No.2

タイトル「だるま」
メディア:電子書籍『瞬殺怪談』(竹書房)2016.8.1
作品の初出:『「超」怖い話T』
著者:松村進吉


○感想
これも主語が全編にわたって省略されており、読むことがすなわち疑似体験となるような語りである。
夜、帰り道で「何か」に遭遇する話。
この話では何が不思議かというと、「佇む女」の存在である。陰影が濃く、つまり街灯のもとで逆光のようにシルエットが見えるだけであり、顔立ちや表情については分からないながらも「女の姿」として形を認識できる。服装も分からないが、とにかくその「何か」が人の形を、それも女の形をしていることは分かるのだ。しかしそう認識した途端、だるま落としのような動きから、それが生きてるものではないと分かる。ひとまず人の形をしていて、かつそれが生きていないと明確に分かるものを「幽霊」と読んでおこう。動物の幽霊やウイルスの幽霊などもいるかもしれないが、とにかく人型に限定して「幽霊」と呼ぶことにする。こうした幽霊が存在するというのは私たちの一般常識(科学的知識)から逸脱しており、これを「存在の不思議」とする。人型で、かつ生きているように見えるが、しかし人でないように思えるものは「化生」と呼んでみることにしよう。
この話では、だるま落としのように「スッ」と女の身体の一部分が暗闇に消えている。恐怖に対する人の反応は様々である。硬直、逃亡、抵抗……この話の体験者は「硬直」だが、動けるなら動きたい所だろう。暗闇の中で、女の一部分がこっちに向かっているのかもしれないのだから。